Superposition de la philosophie et de ...

中村大介による哲学と他のものを「重ね合わせ」ていくブログ。目下は探偵小説の話題が中心になります。

【補足記事】「隠す」とは何か、「見えない」とは何か:G・K・チェスタトン『ブラウン神父の無心』再び

 この記事は先日投稿した、チェスタトン『ブラウン神父の無心』に関する記事の補足である。可能であればそちらを先にお読みいただきたい。この記事の内容は、(1)前回触れた、本作における「隠すこと」及び「見えないこと」に関するトリックの内実をより明確にして区別すること、その上で、(2)エドガー・アラン・ポオの「盗まれた手紙」(1845)と本作との関係を改めて問うことである。

 チェスタトンのこの著作から、「折れた剣の招牌」、「透明人間(見えない人)」、「飛ぶ星」、そして「イズレイル・ガウの信義」については真相に触れる。またポオの「盗まれた手紙」については第2節で扱う。

*第3節を新たに加えた(5/2)。

 

【以下、本作の真相に触れる。】

 

1.二つのトリックの明確化

 前回の記事では、この短編集を二つの軸に沿って分析した。改めて挙げておこう。

  1. 事件の真相を示すものを同種の他の多数のものの内に紛れ込ませることで「隠す」(「飛ぶ星」、「サラディン公の罪」「折れた剣の招牌」)
  2. 犯人自身を他の人物の内に紛れ込ませることで「見えなくする」(「間違った形」、「見えない人」)

 さてこれらはそれぞれ、次のように特徴付けることでより明確に区別できるように思われる。

  1. 「隠す」系列:特徴のある(事件のしるしをもつ)ものをそのまま他のものの内に紛れ込ませる(=「しるし」を他のもののうちに埋めることで、「しるし」を判別不能にする)。
    しるしの認識論のレベルでの判別不可能性?
  2. 「見えない」系列:あるもの(特に犯人自身)を敢えて特徴のない(事件のしるしのない)ものに変えることで、堂々と他のものの内に紛れ込む(=そもそも「しるし」であることを消去する)。
    しるしの存在論のレベルでの消去?

 まず前者について。「折れた剣」において、セントクレア将軍は剣の切っ先が残ったマレー少佐の殺害死体はそのままにし、そこに「死屍累々たる戦場」を被せることで、犯罪を隠そうとする。ここでは事件の「しるし」(=剣の切っ先が残ったままの死体)はそのままであり、そこに同種の他のもの(=兵士の死体)を多数作り出すことで、事件の「しるし」が「しるし」であることを隠蔽しようとする。ここにあるのは、事件の「しるし」そのものを抹消することはないが、しるしをそれと識別されない、判別されないようにしてしまうというトリックである。認識論的な水準で「隠す」ことが問題となっていると言えるだろうか。

 次に後者について。「見えない人」では、犯人ウェルキンは「郵便配達人」である。ここでは、都会の中で相互に交換可能であるような人物として振る舞うことで、スマイズを殺した事件の犯人としての「しるし」それ自体を抹消しようとしているように思える。あるいは「奇妙な足音」において、フランボーは目立たない「給仕」を演じることで、銀器を盗む訳だが、ここでも特徴のない人物に自らを変えることで、泥棒としての「しるし」それ自体を消している。ここでは「事件(犯人)のしるしの存在」そのものを消してしまうという、存在論のレベルでの記号の抹消が問題となっているのではないだろうか。

2.ポオ「盗まれた手紙」再訪

【以下、「盗まれた手紙」の真相に触れる。】

 

 さてこれら二つは、ポオの「盗まれた手紙」における、「隠さないことで隠そうとする」トリックのバリエーションではないか、と前回も註にて指摘した(勿論、後述するように、これは既に部分的には言われてきたことである)。この点をもう少し立ち入って見ておきたい。

 「盗まれた手紙」において、手紙は「どんな訪問客の眼にもさらされるような、ひどく人目につきすぎる所」*1マントルピース真ん中のノブからリボンで吊るされた「名刺差し」に、名刺5、6枚と共に差されていた。また、手紙は元のものから少し手を加えられている。探している手紙の封蝋は小さくて赤いが、この手紙のそれは大きくて黒い — そして手紙の真ん中のところが引きちぎれていて「ひどく目立つ」。

 さて、ここでは事件の「しるし」である手紙は、すこし手を加えられて — あえて目立つような形に変えられて —、無造作に目立つところに置かれている。このような点から、この名作短編のトリックは、〈事件のしるしそのものを消去する〉ことで他のものに紛れ込ませる、『無心』における2のトリックのほうと関わる、と言えるだろう。実際、乱歩は「盗まれた手紙」に「見えない人」の盲点原理の先駆を見出していた*2。すなわち、「盗まれた手紙」の手紙は目立つように変えられ、さらに「人目につきすぎる所」に置かれることで警察の目を欺くが、チェスタトンの「見えない人」でも、スマイズは「赤と青と金の服を着て、なかなか立派な身形(なり)」*3をした郵便配達人に姿を変えることで監視者の目を欺く*4。実のところ、「盗まれた手紙」には、〈事件のしるしはそのままにして、同種のものをそこに併置させる〉ことで「しるし」を識別不可能にする、という『無心』における1のトリックは用いられていないように思える。

 1のトリックは、おそらくは、「盗まれた手紙」における一般的原理とも言うべき「隠すために、ぜんぜん隠さない」*5手法=盲点原理の変奏である。「折れた剣」においても、将軍は殺人死体を埋めるなどして人の目から死体を隠している訳ではない。殺人死体は確かに目に見えるところにあり隠されてはいないのだが、犯罪のしるしが、他の死体の中に埋もれることで隠されてしまっているのである。

 

 このように『ブラウン神父の無心』は、「盗まれた手紙」における「隠すために全然隠さない」盲点原理を一方で直接継承し、他方でそれを認識論の水準で変奏した。加えて本作には、「そこに無いもの」を推理するという、上記二つのトリックのいわば「補集合」ともいうべき傑作、「イズレイル・ガウの信義」がある。そしてこの最後の傑作からは、クリスティーも用い、クイーンが多様に展開した「ネガティブ・クルー」の問題圏が開けるのである。

3.補足の補足(5/2追記)

 「見えない人」(2のトリック)に対する考察を少し進めたので、ここに追記しておきたい。「しるしの存在の抹消」と「隠さないことで隠すこと」の関係はもう少し正確に語ることができる。

 まず、犯人が自分を単純に「隠す」場合、そこには何らかの「しるし」— 「こっそりと裏口から入った」といったような監視者・刑事が容易に気が付く記号 —  が残ることになる。この「しるし」をAと書こう。「見えない人」の犯人がしたのは、この隠すことで容易に気がつかれてしまう「しるし」Aを抹消することである。それが「隠さない」ということである。すなわち「隠さない」こととは、「AでないB(Aを示さないB)」として、「B', B'', …」の一員として姿を現す、ということである(それが「郵便配達人」)。この「隠さない」=「姿を現す」ことが「見えない」と言われる(そして、この「隠さないことで見えない」記号を見出すのが名探偵)*6

 対して「折れた剣」(1のトリック)はどうか。そこでもまた、事件の死体を「隠す」(たとえば「埋めてしまう」)ことはない。だが、この場合、生じてしまった死体などの物証αをそのまま目に見えるα', α'', …の一員とする、ということで「隠さないことで隠す」。

 言い方を変えれば、2のトリックは、「隠すと生じてしまうであろう事件のしるしAを先回りして抹消する」のに対して、1のトリックは「生じてしまった(生じてしまう)事件のしるしαはそのままにして、判別不可能にする」といったようになるだろうか*7

 以上を踏まえ、改めて1のトリックと2のトリックをまとめておこう

  1. 「隠す(hidden)」トリック:事件で生じた(生じてしまう)「しるし」αを「α', α'', …」の一員とする(しるしの認識論的な判別不可能性)。
  2. 「見えない(invisible)」トリック:事件を「隠す」と生じるであろう「しるし」Aを先回りして消す(しるしの存在論的な抹消)
    →「AでないB」として、「B', B'', …」の一員として姿を現す。

※このように見てくると、これまで、1と2の〈逆〉ないし〈補集合〉と形容してきた「イズレイル・ガウの信義」は「2のトリック」と実は密接な関係を持っているのではないか、という疑問が自然に生じてくる。なぜならそこでは、「A, B, C, …に共通して欠けていて見えないもの=D」を見抜くことがポイントとなっているからだ。

 さて、ここまできて改めてポオの「盗まれた手紙」について考えてみよう。それは前節で述べたように、果たして「2のトリック」だけであろうか。確かにそちらと多くの共通点を持つのであるが(犯人は隠そうとした「しるし」を生み出さないことにまずは配慮する)、多少手を加えたとは言え、事件の物証である「手紙」をそのまま、類似した名刺と共に犯人は置いてしまうのだから。もしかしたら「盗まれた手紙」には、1の「隠す」トリックと2の「見えない」トリック、双方の「原基」とでも言うべきものが埋め込まれているかもしれない。この点はいずれ検討したい。

*1:エドガー・アラン・ポオ「盗まれた手紙」(丸谷才一訳)、『ポオ小説全集4』、東京創元社、1974年、261頁。

*2:江戸川乱歩「探偵作家としてのエドガー・ポオ」、同書、435頁参照。

*3:G・K・チェスタトン「透明人間」、『ブラウン神父の無心』、南條竹則坂本あおい訳、筑摩書房、2012年、160頁。

*4:私はかつて、この両作の関係を、「盗まれた手紙」における「犯行方法の伏線化」から「見えない人」における「犯人自体の伏線化」としてまとめたことがある。中村大介「探偵小説生成論序説:パースの記号学から出発して」、『数理と哲学:カヴァイエスとエピステモロジーの系譜』、青土社、2021年、376-377頁。

*5:ポオ「盗まれた手紙」、前掲書、259頁。

*6:探偵小説の歴史上、様々な「見えない人」が発案されてきたが、この「B', B'', …」の表象の巧拙が、作品当時の社会状況を作者が批評的に見抜けているか、ということと関係してくると思われる。チェスタトンの「郵便配達人」は、第一次世界大戦前の都市群衆を前提とした、鋭い表象だったと評価できよう。

*7:「生じてしまった」場合が「折れた剣」の死体であり、「生じてしまう」場合が「飛ぶ星」の宝石である。