Superposition de la philosophie et de ...

中村大介による哲学と他のものを「重ね合わせ」ていくブログ。目下は探偵小説の話題が中心になります。

時を越えた継承:大山誠一郎『時計屋探偵の冒険』

 今回は、大山誠一郎氏の『時計屋探偵の冒険:アリバイ崩し承ります2』(2022)に収録されている傑作短編「時計屋探偵と二律背反のアリバイ」を、とある作品との関係でごく簡単に取り上げる*1

 その「とある作品」とは1983年刊行の長編である。ここではそれ以上のことを書くのは控える。その名を挙げることさえ、一方の作品しか読んでいない人にとっては他方の作品の興趣を削ぐことになりかねないからだ。その長編の見当がついた方(あるいはネタをバラされても構わないという方)は続きをお読みいただきたい。

 

【以下、2作品の真相に触れる。】

 

 

 

 

 さて、その1983年刊行の長編をまずは挙げてしまおう。それは笠井潔氏の〈矢吹駆シリーズ〉第3作、『薔薇の女』である。この長編 — シリーズの中で取り上げられることは比較的少ないが、勿論優れた作品 — には様々な探偵小説上の仕掛けが込められているが、大山氏の短編同様、〈被害者の往復運動と変装を用いたアリバイトリック〉が一つの中心にある。以下、簡単に比較しよう。

『薔薇の女』
  • [往復運動]女性A(ベアトリス・ベランジュ)は自宅とホテルを一往復半する。
    →この往復で、やはり往復する犯人X(アグネシカ・ベランジュ)のアリバイを偽装。
  • [偽装の中心]
    (1) AもXもホテルで第三の人物=謎の女Yに変装すること
    (2) Aが往復して帰宅したときに、Xも家にいるように見せかけること
  • [殺人]Xはホテルの人物B(シャルル・ロワゾー)、さらにAを殺害。
「時計屋探偵と二律背反のアリバイ」
  • [往復運動]二人の女性A(中石沙都子), B(河合亜希)が各々の自宅と(それぞれ別の)料理店を往復する。
    →これらの往復で、犯人X(中石純一)のアリバイを偽装。
  • [偽装の中心]
    (1) A, Bを互いに相手に変装させること
    (2)その変装によりそれぞれが行った料理店を「逆」に見せかけること
  • [殺人]Xはそれぞれの自宅でAとBを殺害。

 このように両作品は、〈二人の人物の往復運動、二人の人物の殺害〉という点で共通している。ただし偽装に関しては、『薔薇の女』の場合、(1)の変装ではなく、どちらかというと(2)にポイントがあるが*2、「二律背反のアリバイ」の場合、(1)の変装がより重要だろう。(2)の「思われていたのとは逆の店に行っていた」という驚きは、この「変装」から導かれるのだから*3

 そこで、両作の関係を次のようにまとめておこう。「時計屋探偵と二律背反のアリバイ」は、『薔薇の女』における「被害者と加害者による第三の人物への変装」というアリバイトリックのサブ・モチーフを、「二人の被害者の相互変装」へと単純化し、トリックの中心に格上げすることで、往復運動も二人の被害者にさせるよう組み換え、展開した作品である、と*4

 

*6/26夜、表現一部追加。

*1:先の記事の最後に、「次の投稿では、『〔ブラウン神父の〕無心』を中心に据えたときに見えてくる「探偵小説の形成と構造」のネットワークを提示する」と述べたが、このネットワークに関しては論文として呈示することを考えており、ひとまずブログでの投稿は保留としたい。

*2:カケルは次のように述べる。「ベアトリスはいったん帰宅する必要があった。いったん帰宅し、七時半前後に自邸にいることこそが、この偽造不在証明工作の中心点だったのではないか」(笠井潔『薔薇の女』、角川書店、1983年、254頁)。

*3:探偵・美谷時乃の次の発言には傍点が打たれている。「沙都子さんの偽者を務めていたのは亜希さん、亜希さんの偽者を務めていたのは沙都子さんだった」(大山誠一郎「時計屋探偵と二律背反のアリバイ」(2021)、『時計屋探偵の冒険:アリバイ崩し承ります2』、実業之日本社、2022年、177頁)。

*4:なおこの短編集は、本作だけでなく「多すぎる証人のアリバイ」及び「一族のアリバイ」も傑作と言える。