Superposition de la philosophie et de ...

中村大介による哲学と他のものを「重ね合わせ」ていくブログ。目下は探偵小説の話題が中心になります。

フレンケルへの手紙—フェリエール『カヴァイエス:戦中の哲学者』要約 (5)

 実姉ガブリエル・フェリエールによる数理哲学者カヴァイエスの評伝『ジャン・カヴァイエス ― 戦中の哲学者 1903-1944』(Gabrielle Ferrières, Jean Cavaillès. Un philosophe dans la guerre 1903-1944 [1950], Paris, Félin, 2003)の要約、今回は第5章の前半をお届けする。ロックフェラー奨学金を得て、カヴァイエスはいよいよドイツへと留学する。

第5章 ロックフェラー奨学金(前半)

 博士論文のためにはドイツでの長い滞在が不可欠であると感じていたカヴァイエスは、ロックフェラー奨学金にて1930-31年度の一年間、ドイツに留学することが決まる。10月にドイツへ向けて出発しまずベルリンに滞在、そこで当地のキリスト教団体とコンタクトを取っている。その後、彼のドイツ留学中のメインの滞在先となるハンブルクへ向かう(なおベルリンの図書館で、彼は偶然同じくロックフェラー奨学金で留学中の同僚、エルブランと会ったようだ)。ハンブルクに着くや否や、彼は集合論についての研究を始めている。

 以下は1930年11月の手紙である。

金曜日に、国立図書館に行き、フレンケルの手になる、カントールとその発見の歴史についての長い記事を雑誌の最新号に見つけました。(…)彼は特に〔カントールデデキントの間の〕往復書簡に依拠しています。(…)この往復書簡は、カントールの著作内部での困難の出現を示してくれるという点でも、数学の他分野を決定し、またそれによって決定される役割を示してくれるという点でも、私には重要です。私の見立てでは、このお互いのやりとりは、数学的思考の展開を、歴史的偶然性の介入のない一つの全体として説明するのに十分であるに違いありません。

 この手紙に出てくる「フレンケル」とは勿論、ツェルメロの公理的集合論に修正を加えた数学者、アドルフ・フレンケル(Adolf Fraenkel, 1891-1965)のことである。そして「数学的思考の展開を、歴史的偶然性の介入のない一つの全体として説明する」という文言には、〈偶発的なものの下にある集合論の形成を取り出す〉という博士副論文のテーマの萌芽が既に見られるだろう(もっとも、「一つの全体」のヴィジョンを彼が保持し続けたかどうかは微妙なところであるが)。彼は1930年12月9日の手紙でも、カントールデデキント往復書簡について言及している。

 そしてカヴァイエスはついに翌31年1月にフレンケルに次のような手紙を出している。

教授


 私は大きな関心をもって『ドイツ数学者連盟年報(Jahresberichte der deutschen Mathematiker Vereinigung)』に載ったカントールについてのあなたの最新の論文を読みました。そしてキールまで行ってあなたにお会いし、助言をいただければと思っています。
 私は(…)1890年頃までの集合論の起源とその形成に関する博士論文を準備しています。これは数学的創造の一例の、哲学的提示の試論となる予定です。しかし私は可能な限り、(…)心理学的な観点から、根本的な観念の展開をその細部に至るまで追跡しなければなりません。これまで公刊されていないカントールについての著述を読むことが、私にとって非常に重要なのです。デデキントとの往復書簡に関しては、対して苦労をせずにブラウンシュヴァイクで入手できることと思います。しかし特に、カントールの家族のもとにある手紙の下書きや抜き書きについて(…)、どうすればよいのかをご教示下さればと思います。(…)(p. 92)

 「数学的創造の一例の、哲学的提示の試論」と「根本的な観念の展開の細部に至るまでの追跡」、これらはカヴァイエスが目指し続けた数理哲学の姿の、最も端的な表現と言えるかもしれない(ただし、ブランシュヴィック由来の「心理学的な観点」からの考察は後に放棄される)。