Superposition de la philosophie et de ...

中村大介による哲学と他のものを「重ね合わせ」ていくブログ。目下は探偵小説の話題が中心になります。

全盛期のとば口に立つ:アガサ・クリスティー『もの言えぬ証人』

 今回取り上げるのは、アガサ・クリスティーの1937年の作品『もの言えぬ証人』である。長編作品としては、以前論じた『ナイルに死す』一つ前の作品であり(刊行は同年)、本作も無論のこと優れた、面白い作品である。ただ、かの女の「全盛期」の作品群に比べるとやや物足りないところがある。この記事では、本作の探偵小説としての美点を中心に論じるが、その物足りない面にも触れることになるだろう。

 参照するテクストはクリスティー文庫版(加島祥造訳、2003年)である。

*以下、本作の真相に触れる。

 

 

1.手がかりと推理

 この作品の探偵小説としての読みどころの一つは、各所に散在していた伏線が回収され、「図像的」といってよい効果を引き起こす瞬間にある。それは、ミス・アランデルに対する「殺人未遂」の謎が解明されるときである。かの女が階段から転落したのは、犬のボールを誤って踏みつけてからではなく、実は階段の上に張られた紐に引っかかったためであった。ではこの殺人未遂は誰が引き起こしたのか?

 この謎に際して、解明前にポアロからはっきりとした手がかりが示される。家政婦ミス・ロウスンは階段の上にひざまずいた人物を目にしており、その人物は「T・Aの文字のついたブローチ」をつけていた、と証言する(395頁)。このブローチを持っていたのはテリーザ・アランデルである。だがポアロはミス・ロウスンが鏡の中の人物を見ていたことから、「ブローチのイニシャルはきっと逆になってたはず」(440頁)と推理する。すなわち、「A・Tの文字のついたブローチ」が犯人の手がかりとして浮上することになる。

 この手がかりを起点に考察していけば謎は解けるのだが、そのヒントは各所に「伏線」として散りばめられている。その伏線を見るより前に、まずポアロの推理をややパラフレーズしつつ箇条書きでまとめておこう。

  • ベラ・タニオスの母の名は「アラベラ」であり、かの女はその名をもらったのだから正しい名は「アラベラ・タニオス」である。これは「A・T」のイニシャルと一致する。
  • かの女はテリーザ・アランデルのファッションを模倣していた。
  • そしてこのブローチは流行しており、簡単に手に入れることができた。
  • よって、テリーザのファッションを模倣し、簡単に入手可能であった「A・Tの文字のついたブローチ」を身につけていた人物、ベラ・タニオスが犯人である。
2.伏線と図像

 では伏線はどこにあるのか? それらは作品の前半、中盤、後半に散りばめられて与えられている。順に挙げていこう。

「ベラはスミルナからイギリスに帰って以来、テリーザの優美な身装りを、費用をかけないで懸命に模倣しようとつとめてきた」(22頁)

「〔アランデル家の子供兄弟の中で〕トーマスのつぎがアラベラ」「〔ベラ・ビックス、〕アラベラの娘よ」(168, 171頁)

「いまは〔ブローチを〕全然つけないわ。あきちゃったのね。それにロンドンじゅう猫も杓子もつけてるから」(422頁)

 これら三つはいずれも目立たないかたちで記述され、解明において遡行的に事件の重要な要素を指し示す記述だと判明する。まさに「伏線」である。散りばめられた伏線が回収され、解明に役立たれるのは探偵小説なのだから当たり前ではないか、と思われるかもしれない。だが、作品の前半、中盤、後半に分散していた伏線が「T・Aの文字」として鏡の中に反転した「A・Tの文字」の図像に収斂する、この像の結び方は鮮やかという他ない。もちろん、「図像」といっても文学であるから、文字通りの「図」である訳ではない。だが、鏡で一度反転させることで、「変装」や「一人二役」といった探偵小説の「類似性」モチーフを突き詰めたような、「相同性」がここには現れている(「A・Tの文字」の鏡像=「T・Aの文字」というこの相同性は、私の〈探偵小説の記号図式〉を参照させてもらえれば、探偵小説という文学特有の「イコン的」表現である)*1。クリスティーの探偵小説の巧みさが、ここに発揮されていると言えるだろう。

 

 では物足りない部分はどこだろうか。一つはこの消去法を主に用いた推理が、男女の属性などを用いた「心理状態」を手引きになされる、という点である。第二に、ミス・アランデルの手紙が彼女の死後遅れてポアロの元に届いた、というきわめて魅力的な謎が、中盤にあまりエレガントとはいえない仕方で明かされ、探偵小説的なかたちで解決されないという点である。

 次作、『ナイルに死す』では伏線、ミス・ディレクション、ダブル・ミーニングといった探偵小説の多様な記号が複雑なプロットと共に入り乱れる。そして私見によれば、この記号の多様さこそが全盛期のクリスティーの特徴を形作るものである。その多様さに一歩及ばないという点で、『もの言えぬ証人』は全盛期のとば口に立った作品と言うことができるだろう*2。では、このとば口をくぐり抜けた先にある「全盛期」の本質とは何か。この点について、私は先述した特徴と関わるある「仮説」を抱いている。それを書くのはまた別の機会に譲ることにしたい。

*1:個人的なメモとして、同記号図式を踏まえてこの部分をまとめておく:散在していた「伏線」という[1-1]の記号機能が、事件のイコン的特徴[2-1]へ収斂する。

*2:『もの言えぬ証人』より多数の伏線を各所に張り巡らし、消去法的な推理を「クイーンを意識しているのでは」というレベルにまで高めた作品が全盛期には存在する。念のため反転して作品名を記す。『死との約束』である。