Superposition de la philosophie et de ...

中村大介による哲学と他のものを「重ね合わせ」ていくブログ。目下は探偵小説の話題が中心になります。

逮捕一週間前、パリでの会話—フェリエール『カヴァイエス:戦中の哲学者』要約 (15)

 実姉ガブリエル・フェリエールによる数理哲学者カヴァイエスの評伝『ジャン・カヴァイエス ― 戦中の哲学者 1903-1944』(Gabrielle Ferrières, Jean Cavaillès. Un philosophe dans la guerre 1903-1944 [1950], Paris, Félin, 2003)の要約、今回は第12章の後半である。

 レジスタンス活動を過激化させる中、彼はパリにて姉と会話を交わす。

第12章 ロンドンでの任務(後半)

 8月12日は姉フェリエールの誕生日であり、カヴァイエスは毎年祝っていた。1943年のこの日も、彼は忙しい中、一緒に食事に出かけている。

 そしてこの後、フェリエールは自分たちが捕まる丁度一週間前の会話のことを記している。以下一行空けて、この章最後の2頁ほどを切らずに引用する。

 

 ジャンがブルターニュの仕事から帰って来たので、私は彼を駅に捜しに行くことに決めた。ドイツ人で溢れたモンパルナス駅に私はぞっとして、恐ろしさを覚えた。ホームの上を歩いていると、ジャンが私に向かって歩いてくるのが見えた。彼は私に気づかず、その足取りは重く、顔は疲れていた。いったいどんな任務を果たして来たというの……? 私が思うに、この旅で彼はボイラー用の作業服に身を包んで変装し、ドイツ海軍がロリアンに作ったコンクリート製の海底基地の中へと忍び込んでいたのだ。私は彼に近づき、彼の新しい住居まで連れ立って行った。

 彼はオブセルヴァトワール通りにある、高い建物の最上階に住んでいて、そこからはパリが一望できた。ジャンはバルコニーからの眺めを気に入っていて、私が、秘密の会合の開かれるこのアパートは私には冷たく見えると言うと、ジャンは私をからかったものだった。この夜、ジェラールが私たちを迎えに来て、ジャンが不在の間何があったかを彼に伝えることになっていた。でもジェラールは遅刻していたため、鍵を持たない私たちは、扉の前で彼を待たないといけなかった。私たちは階段の一番上に腰掛けると、二人で語り合った。敢えて次第に夕闇が濃くなって行く中で語り合った。彼は私に、派遣されたブルターニュでの破壊工作について語り、私はそれに対して、そんな仕事をどうしてあなたが引き受けなくちゃならないのか分からない、と答えた。「あなたは組織のリーダーなのよ。陸橋さえ吹き飛ばすようなビックフォード式の導火線に自分自身で火をつけるなんて、あなたの仕事ではないわ。もしあなたが捕まったら、組織全体の首が切られたことになるのよ」。彼は私に応えた。「多分姉さんが正しいんだろうね。でもね、ご存知の通り、そこに危険があると、僕はそれを他の人にさせることができないんだ。危険があるところに、リーダーはいないといけない*1。それにね ― 彼は笑いながら付け加えた、その笑いは濃くなって行く闇の中で見ることはできなかったけど、私はその挑発的な感じと皮肉な若々しさを昔から知っていた ―、それはとても面白いのさ!」

 とても面白い……。それはまさにジャンの性格の一つだった。挑戦と悲劇を一緒にしてしまうのだ。ある意味では、彼は「賢く」なんてなかった。彼は人生を愛し、良いワインを、旅を、ときには贅沢と華美を愛した。彼はよく、ドレスを選びに行く私に付き添ったものだった。

 そしてこれらのどれよりも、彼は危険(le risque)を愛した。子供のとき屋根から飛び降りた、それがどれほど両親を怖がらせたことか……。山を登攀し、馬を操って、大した乗り手でもないのに、プロでさえ恐怖を抱くような障害へと向かって行った。政治活動をしようとしたのも、自分は単に知識人であるだけでなく、自分を「人々の指導者」にすることができるのだということを自分自身に証明するためだった。修道士の生活に憧れることもあった。「人々は礼拝堂のミサへ行って、朗誦し、歌う。僕はといえば、そこにできるだけ遠くから加わっていた。そしてほとんど全ての応唱を歌わせてもらった」*2

 どれほどあらゆる凡庸さを軽蔑したことか。しかしまた簡潔さを重んじたことか。彼は女性を愛した。でも私が語った女性たち、あのはるかな外国の女性たちもまた彼にとっては超克の機会であり、激しい魅了の機会ではなかったのか。特にあの若きイギリス人女性、彼が彼女を情熱的に愛したのは、彼女自身不可能なことを求めていたからではないのか*3

 彼が学問的に追究していた道も、また挑戦を表していた。彼は集合論に関して書いていたではないか。「孤独な理論である。今日でさえなおその抽象的な部分においては未完成で、また多くの人にとっては不確かである。天へ向かって延ばされた手……」*4

 だから私は、これまで何度も繰り返してきたことをまた言った。いやそのことに一層強く触れたのだ。あなたは自分の兵士としての義務を果たした、いや、それ以上だと。道を示したから、今や他の人があなたの代わりになれるのだと。そして、自分の仕事を、つまり仕上げないといけない本のことを無視していると。「明かりを渡すのよ。そして自分の本当の運命に戻りなさい。あなたがそのためにつくられたと言ってもいい哲学的な理想へと戻るの。使わないといけないのは、放物線の才能よ」。彼はため息を一つ吐き、言った。「僕が折に触れて自分の本に戻りたいとどれだけ渇望していることか、姉さんに分かってもらえたらな。もうちょっと経ったら、できるかもしれない。でも今は無理なんだ」。

 悲しいかな、私はこの「もうちょっと」がいつも先送りされてきたことを知っていた。そして私はジャンが正しいことを、また、彼の人生を導いて来た厳密さが、自分で離脱だとみなすようなことを彼に許しはしないだろう、ということも知っていた。それでも、私は苦しい愛情の中で、それを考えることが私の心を張り裂けんばかりにさせるような運命へと彼が歩んで行くことを、何とか止めたいと願っていたのだろう。

*1:[10/12追記]この点は第9章における最初の引用も参照。

*2:[原註]1931年8月14日、ローテンフェルス修道院にて。

*3:カヴァイエスの恋愛に関する話題はこれまでの記事では触れてこなかった。博士論文を執筆する最中、彼がイギリス人の女性と恋愛関係にあったことをフェリエールは第6章で報告している。

*4:[原註]『カントールデデキント往復書簡』の「緒言」〔Jean Cavaillès, «Avertissement » dans Briefwechsel Cantor-Dedekind, heraus. von Emmy Noether & Jean Cavaillès, Paris, Hermann, 1937, p. 7〕。