Superposition de la philosophie et de ...

中村大介による哲学と他のものを「重ね合わせ」ていくブログ。探偵小説との重ね合わせが主です。

一つの前提的達成:エミール・ガボリオ『ルルージュ事件』

 今回は探偵小説古典中の古典、エミール・ガボリオの『ルルージュ事件』(1866)を取り上げる。本作はイギリスのチャールズ・フィーリークス『ノッティング・ヒルの謎』(1863)と並び、おそらくは世界最初の長編探偵小説の栄誉を担う作品であり、それゆえ様々な視点からの考察が可能であろう。ここでは70年ほど後の作家、エラリー・クイーンの作品との比較、という視点からごく簡単に考察するに留める。

 

【以下、本作の核心に触れる。参照するのは太田浩一訳(国書刊行会、2008年)である。またクイーン作品の興趣にも触れるので注意されたい。】

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事件としての推理、推理としての推理:紙城境介『僕が答える君の謎解き』

 今回は2021年に刊行された紙城境介『僕が答える君の謎解き:明神凛音は間違えない』を取り上げる。これはエラリー・クイーンの問題意識を一歩先に進めたような、優れた作品である。この記事では「推理」の二重の役割に注目しながら、本作を論じてみたい。

【以下、本作の核心に触れる。またクイーン作品のある趣向にも言及するので注意されたい。】

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二つの手がかり、そして:ヘレン・マクロイ『家蠅とカナリア』

 今回はアメリカの探偵小説作家ヘレン・マクロイの『家蠅とカナリア』(1942)を取り上げる。この充実した作品は同時期のクリスティー作品と比較したくなるような、独自の「騙り」を含んでいる。以下では、探偵小説としての驚きの中心点へと導いていくような仕方で、本作を論じてみたい。

 参照するのは深町眞理子訳(創元推理文庫、2002年)である。丸括弧内の算用数字は同書の頁付けを示す。

 

【以下、本作の核心に触れる。】

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二つの犯人像の交錯:櫻田智也『失われた貌』

 今回は珍しくごく最近の作品を取り上げる。桜田智也氏の『失われた貌』(2025)である。この作品を読んだとき、私はある「犯人」の設定に新しさを感じた。本記事はその新しさの感覚を、言葉にして論じようとしたものである。記事の目標は、本作におけるある「犯人」の設定をネタバレ込みで、探偵小説史の中で検討することにある。

 第1節でその犯人の特徴を浮き彫りにした上で、第2節ではその特徴をエラリー・クイーンの諸作品における二つの犯人像と関連づけて考察する。その際、クイーン作品への直接の言及は避けるが、犯人像についてはやはり論及せざるを得ないので注意して欲しい。

【以下、本作の核心に触れる。また第2節からはエラリー・クイーン作品における二つの犯人像に触れる。】

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手がかりとミス・ディレクションの〈散種的〉判別不可能性について:アガサ・クリスティー『マギンティ夫人は死んだ』

 今回はクリスティー中期の秀作『マギンティ夫人は死んだ』(1952)を取り上げる。1930年代末からこの時期くらいまでの彼女固有の探偵小説的技法を踏まえて、本作を彼女の作品群の中に位置付けるのが目標である。

 なお第2節は独立して(かつネタバレなしで)読むことができる。ここは、これまでの私のクリスティー読解の中間決算とでも言うべき重要な節となる。

【以下、本作の核心に触れる。参照するテクストは田村隆一訳(クリスティー文庫、2003年)である。今後原書を参照して訳文などを変更する可能性がある。】

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薔薇とイチイに何に当たるか:アガサ・クリスティー『暗い抱擁』

 今回はアガサ・クリスティーがメアリ・ウェストマコット名義で出版した『暗い抱擁』(原題 The Rose and the Yew Tree〔薔薇とイチイの木〕, 1948)を取り上げる。当ブログでは以前、ウェストマコット名義の前作『春にして君を離れ』(1944)を探偵小説的な叙述上の観点から分析したが、今回は叙述にあまりフォーカスせず、どちらかと言うと物語内容を中心に検討する。

 第3節まではいわゆる「テクストの内在的読解」を行うが、最後の第4節ではそれを敢えて踏み越え、本作の「最後」の(妄想的な?)読み替えを提示する。その読み替えの妥当性については是非、皆さんの判断を仰ぎたいと思う。

 

【以下、本作と『春にして君を離れ』の核心に触れる。クリスティー文庫版(中村妙子訳)と一部原文(Jove Books, 1988)を参照した。】

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手がかりの伏線化技法とあるトリックの機能不全:アガサ・クリスティー『忘られぬ死』

 今回はアガサ・クリスティーの『忘られぬ死』(1944)を取り上げる。この作家の最も充実した時期に書かれた作品ではあるが、『五匹の子豚』、『ホロー荘の殺人』、そして『ゼロ時間へ』といった傑作と比べると出来栄えとしてはいくらか落ちる。それでもそこには興味深い叙述上の技法と、あるトリックの限界とでも言うべきものが含まれている。ここではその二点に絞って論じてみたい。

【以下、本作の核心に触れる。参照するのはハヤカワ・ミステリ文庫(1985)の中村能三訳である(今後原文を参照し、引用など一部変更の可能性がある)。】

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