Superposition de la philosophie et de ...

中村大介による哲学と他のものを「重ね合わせ」ていくブログ。目下は探偵小説の話題が中心になります。

時を越えた継承:大山誠一郎『時計屋探偵の冒険』

 今回は、大山誠一郎氏の『時計屋探偵の冒険:アリバイ崩し承ります2』(2022)に収録されている傑作短編「時計屋探偵と二律背反のアリバイ」を、とある作品との関係でごく簡単に取り上げる*1

 その「とある作品」とは1983年刊行の長編である。ここではそれ以上のことを書くのは控える。その名を挙げることさえ、一方の作品しか読んでいない人にとっては他方の作品の興趣を削ぐことになりかねないからだ。その長編の見当がついた方(あるいはネタをバラされても構わないという方)は続きをお読みいただきたい。

 

【以下、2作品の真相に触れる。】

*1:先の記事の最後に、「次の投稿では、『〔ブラウン神父の〕無心』を中心に据えたときに見えてくる「探偵小説の形成と構造」のネットワークを提示する」と述べたが、このネットワークに関しては論文として呈示することを考えており、ひとまずブログでの投稿は保留としたい。

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「見立て殺人」の一到達点:笠井潔『サマー・アポカリプス』

 今回は笠井潔氏の矢吹駆シリーズの第二作目にして傑作『サマー・アポカリプス』(1981)を取り上げる。前回『バイバイ、エンジェル』を論じた際は、このシリーズ第一作目が通常扱われる際のサブジャンル=「首なし屍体もの」とは、敢えて異なった視点から考察した。だが今回は、『サマー・アポカリプス』という作品の中でおそらくは最も論じられるであろう探偵小説上のテーマに、直截に切り込んでみたい。それは勿論、「見立て殺人」である。本作の見立て殺人ものとしての意義は何か、これがこの記事の主題となる。

 引用は最初の単行本である角川書店版(1981)による。また、クリスティーの『ABC 殺人事件』及び — 最近の記事の焦点の一つである — チェスタトンの『ブラウン神父の無心』にも言及する。

 

【以下、本作、及び『ABC 殺人事件』と『ブラウン神父の無心』の核心に触れる。】

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ある反転的展開:鮎川哲也『りら荘事件』

 今回取り上げるのは鮎川哲也の『りら荘事件』(単行本1958)である。この長編は紛れもない傑作であり、それどころか、同著者の『黒いトランク』(1956)と並び、探偵小説というジャンルの最高峰に位置する作品と言える。この作品を、最近の複数の記事に共通する視角 — すなわちチェスタトンの『ブラウン神父の無心』における「隠す」と「見えない」の問題 — から、ここでは論じてみたい。また併せて(これは関係が見えやすいところであろうが)、前回検討したクリスティーの『ABC殺人事件』にも言及する。

 今回読み返したのは文華新書から出た「旧版」なので、まずはそこから引用し頁数を示す。その上で、現在入手可能な「新版」(加筆されたこの版の方が、最後の殺人の処理など作品としての完成度は上がっている)の頁数を、鮎川が最後に手を入れたという講談社文庫版(1992)からスラッシュの後に示す*1

 

【以下、本作及び『ブラウン神父の無心』、そして『ABC殺人事件』の真相に触れる。】

*1:文華新書版のタイトルは『リラ荘殺人事件』であるが、初出のタイトルが『りら荘事件』であったこと、また鮎川哲也がとりわけ初期においては「ひらがなにすると7文字」のタイトルを好んでいたということ(この好みが書かれている文献を今すぐは思い出せないのだが)、以上2点から『りら荘事件』と記す。

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戦場の空間を都市の時間に変えるもの:アガサ・クリスティー『ABC殺人事件』

 今回取り上げるのは、アガサ・クリスティーの名高い秀作『ABC殺人事件』(1936)である。

 クリスティーポアロものには本作を含め、きわめて有名な作品が3作(名を挙げるまでもないだろう)あるが、クリスティーを読めば読むほど、かの女の全盛期はこれらの作品以降(霜月蒼氏が指摘しているように『ナイルに死す』以降)であると思えてくる。これは具体的には、伏線・ミスディレクション・手がかりといった記号が錯綜しあい、多様なヴァリエーションを構成し始めるのは、『ナイルに死す』が出た1937年あたりからではないか、ということだ。

 それでも本作が探偵小説史上、重要な作品であることは論を俟たない。ここでは、クリスティー文庫版の法月綸太郎氏による優れた解説を補完する指摘をおこない、本作が探偵小説の形成に果たした意義を改めて確認したい(あわせてG・K・チェスタトン『ブラウン神父の無心』所収の有名短編にも言及する)。

*以下、早川書房クリスティー文庫版(堀内静子訳、2003年)を参照する。今回は、議論にやや不十分な箇所が存在することを予めお断りしておく。

 

【以下、本作および『ブラウン神父の無心』の真相に触れる。】

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〈盲点原理〉をめぐって:エドガー・アラン・ポオ「盗まれた手紙」

 エドガー・アラン・ポオの古典的傑作「盗まれた手紙(The Purloined Letter)」(1845)を原文で読み直した。前回の投稿チェスタトンの『ブラウン神父の無心』とこの作品の関係に触れたが、改めて今回、ポオの再読を踏まえて両者の関係を明示化したい(したがって、前回と内容的に重なるところの多いこの記事は半分、チェスタトン論でもある)。

 「盗まれた手紙」については、オンライン上で読むことができる、Mabbott編のThe Collected Works of Edgar Allan Poeの第三巻(1978)を用いた。引用に際してはこちらの頁付を示した後で、邦訳として参照した巽孝之訳(新潮文庫、2009)の頁付も示す(訳は適宜変更してある)。

 

【以下、本作及び『ブラウン神父の無心』の諸作品の真相に触れる。】

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【補足記事】「隠す」とは何か、「見えない」とは何か:G・K・チェスタトン『ブラウン神父の無心』再び

 この記事は先日投稿した、チェスタトン『ブラウン神父の無心』に関する記事の補足である。可能であればそちらを先にお読みいただきたい。この記事の内容は、(1)前回触れた、本作における「隠すこと」及び「見えないこと」に関するトリックの内実をより明確にして区別すること、その上で、(2)エドガー・アラン・ポオの「盗まれた手紙」(1845)と本作との関係を改めて問うことである。

 チェスタトンのこの著作から、「折れた剣の招牌」、「透明人間(見えない人)」、「飛ぶ星」、そして「イズレイル・ガウの信義」については真相に触れる。またポオの「盗まれた手紙」については第2節で扱う。

*第3節を新たに加えた(5/2)。

 

【以下、本作の真相に触れる。】

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かくも多き不在:アガサ・クリスティー『邪悪の家』

 アガサ・クリスティーの『邪悪の家』(1932・別題『エンド・ハウスの怪事件』)を読み、ノートを作った。この作品は「傑作」や「秀作」とまでは言えなくても、探偵小説の歴史を振り返ると、興味深いポイントを含んだ佳作であることが分かる。ここではその興味深いポイントを二つ、指摘してみたい。

*参照したのはハヤカワ文庫(田村隆一訳、1984年)である。

 

【以下、作品の真相に触れる。】

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