Superposition de la philosophie et de ...

中村大介による哲学と他のものを「重ね合わせ」ていくブログ。目下は探偵小説の話題が中心になります。

アガサ・クリスティー

絡み合うミス・ディレクションの建築物:アガサ・クリスティー『ねじれた家』

今回取り上げるのは、映画化もされたアガサ・クリスティーの『ねじれた家』(1949)である。本作はその「意外な真相」によりとりわけ知られているが、記述・叙述の面でも、この作家の美質が示されている。いやむしろ、ミス・ディレクションという叙述面に注…

探偵小説における焦点化の一問題:アガサ・クリスティー『満潮に乗って』

アガサ・クリスティーの『満潮に乗って』(1948)を久々に読み返した。この作品は優れたトリックと叙述上の技巧を含んだ傑作であるが、同時に、ナラトロジーで言うところの「焦点化」に関して、探偵小説というジャンルにおける興味深い問題をも提起している…

手がかりと伏線のグラデーション:アガサ・クリスティー『愛国殺人』

今回はアガサ・クリスティー円熟期の佳作、『愛国殺人』(1940)を取り上げる。この作品は傑作・秀作とまでは言えないにしても、この時期に典型的な叙述の技巧、及びトリックを見ることができる興味深い作品である。以下、叙述とトリックという、その二つの…

迷霧としてのテクスト:アガサ・クリスティー『ホロー荘の殺人』

『ホロー荘の殺人』(1946)は、アガサ・クリスティーの全盛期と言える1940年代に書かれた傑作である。この記事では、ミス・ディレクションの機能を主軸にした分析によって、本作がクリスティーの最高点の一つをマークした作品でもあることを示せればと思う…

文字か図像か、真実か偽装か:アガサ・クリスティー『NかMか』

今回はトミー&タペンスものの長編第二作、『NかMか』(1941)を取り上げる。第一作『秘密機関』(1922)からの大きな飛躍を示したこの作品は、全盛期クリスティーの優れた叙述の才が、エスピオナージュ(・パロディ)において発揮された傑作である。ここで…

第二期の出立:アガサ・クリスティー『エッジウェア卿の死』

今回は『エッジウェア卿の死』(1933)を考察する。この作品は、独創的なトリックを、1940年代のクリスティー全盛期へと通ずる優れた探偵小説の記号群によって支える構造になっており、かなりの秀作である(もっと後の時期の作品と言われてもおかしくない出…

三つの細やかな変奏:アガサ・クリスティー『メソポタミヤの殺人』

今回取り上げるのは、アガサ・クリスティーの『メソポタミヤの殺人』(1936)である。この長編は傑作とも秀作とも言い難いが、それでもこの時期の彼女の試みが分かる、興味深い佳品である。ここでは、本作を三つの先行作との関係で簡単に論じたい。 参照する…

【補足記事】〈関係記号〉の前景化:アガサ・クリスティー『そして誰もいなくなった』/『雲をつかむ死』

今回は以前書いた『そして誰もいなくなった』論を補足する短めの記事である。可能であれば、そちらをお読みいただいてから本記事に移っていただければと思うが、読んでいなくても内容の理解には困らない筈である。 むしろ『杉の柩』を検討した際に提示した二…

逆転の構図:アガサ・クリスティー『オリエント急行の殺人』

今回は名作『オリエント急行の殺人』(1934)に登場していただく。この作品といえば、クリスティーの他の有名作と同様、その「意外な犯人」が決まって言及される。しかしここではそのテーマを実のところ支え、導出さえしているように見える、ある〈逆転の構…

〈隠すこと〉の一変奏:アガサ・クリスティー『ポアロのクリスマス』

今回はクリスティーの『ポアロのクリスマス』(1939)を取り上げる。本作はこの時期にかの女が探求していたモチーフがよく分かる佳作である。例によって伏線、ミス・ディレクションといった叙述上の特徴と、手がかりとの関係に絞って簡単に検討する。 ※用い…

技巧の胚珠:アガサ・クリスティー『秘密機関』

今回取り上げるのは、『スタイルズ荘の怪事件』に続くアガサ・クリスティーの二作目、『秘密機関』(1922)である。まだ冗長なところもあるものの、この作家の優れた特質が早くも随所に表れており、トミーとタペンスの活躍も楽しめる好編である。 この記事で…

あるトリックの遍歴:アガサ・クリスティー『白昼の悪魔』を中心に

これまでアガサ・クリスティーの諸作品を、「叙述」面に主にフォーカスして分析してきた。叙述や記述がこの作家の大きな特徴である以上、こうしたアプローチは間違ってはいまい。だが、そろそろクリスティー作品における「トリック」について検討してみたい…

ホワットダニットへの助走:アガサ・クリスティー『書斎の死体』

2023年最初に取り上げる作品は、アガサ・クリスティーの『書斎の死体』(1942)である。本作を幾つかの先行作品と比較・検討する作業は興味深いものと思われるが、本記事ではまず簡単に、この秀作の特筆すべき点を取り上げておきたい。 参照するのはクリステ…

技巧の開花:アガサ・クリスティー『杉の柩』

今回はアガサ・クリスティーの『杉の柩』(1940)を取り上げる。霜月蒼氏いわく「人気作品」*1である本作には、確かに全盛期クリスティーの、豊かな技巧の開花が見出されるように思える。ここではこの作品の伏線、ミス・ディレクションといった「叙述」の側面…

コペルニクス的転回とその先:アガサ・クリスティー『春にして君を離れ』

今回取り上げるのは、アガサ・クリスティーがメアリ・ウェストマコット名義で出した『春にして君を離れ』(1944)である。本作は『カーテン』や『五匹の子豚』などと並んで、かの女の絶頂期に書かれた恐るべき傑作である。 この記事では、本作をあくまでも「…

全盛期のとば口に立つ:アガサ・クリスティー『もの言えぬ証人』

今回取り上げるのは、アガサ・クリスティーの1937年の作品『もの言えぬ証人』である。長編作品としては、以前論じた『ナイルに死す』一つ前の作品であり(刊行は同年)、本作も無論のこと優れた、面白い作品である。ただ、かの女の「全盛期」の作品群に比べ…

戦場の空間を都市の時間に変えるもの:アガサ・クリスティー『ABC殺人事件』

今回取り上げるのは、アガサ・クリスティーの名高い秀作『ABC殺人事件』(1936)である。 クリスティーのポアロものには本作を含め、きわめて有名な作品が3作(名を挙げるまでもないだろう)あるが、クリスティーを読めば読むほど、かの女の全盛期はこれらの…

かくも多き不在:アガサ・クリスティー『邪悪の家』

アガサ・クリスティーの『邪悪の家』(1932・別題『エンド・ハウスの怪事件』)を読み、ノートを作った。この作品は「傑作」や「秀作」とまでは言えなくても、探偵小説の歴史を振り返ると、興味深いポイントを含んだ佳作であることが分かる。ここではその興…

三つの記号:アガサ・クリスティー『ナイルに死す』

アガサ・クリスティーの『ナイルに死す』(1937)を再読した。巧みなストーリーテリングに支えられた人気作であり、トリックもクリスティーの生み出した中では有名なものだろう。ここでは、これまでの彼女の作品の分析同様、あくまでも伏線やミス・ディレク…

「ホワットダニット」とは何か:アガサ・クリスティー『バートラム・ホテルにて』

この記事では、アガサ・クリスティーの『バートラム・ホテルにて』(1965)の考察を通して、「ホワットダニット」と呼ばれる探偵小説における特殊な「謎」のあり方について考えてみたい。この作品は大傑作とは言えないまでも、「ホワットダニット」を中心的…

手がかりか、ミスディレクションか:アガサ・クリスティー『カリブ海の秘密』

アガサ・クリスティーの『カリブ海の秘密』(1964)を読んだ。後期クリスティーについては未読作品もあり、もう少し諸著作の分析を進めねばならないが、本作にはこの時期のいくつかの特徴が見られるように思った。伏線、ミスディレクション、手がかりの関係…

【論文】もう一つの謎、もう一人の名犯人:アガサ・クリスティー『そして誰もいなくなった』

この小論の目的は、アガサ・クリスティーの代表作とされる『そして誰もいなくなった』(1939)におけるある別の事件の存在を指摘し、長らく忘れ去られてきたであろう「もう一人の名犯人」の名誉回復を試みることである。 この作品の最終盤をよく読むと、そこ…

記号の乱舞:アガサ・クリスティー『五匹の子豚』

アガサ・クリスティーの『五匹の子豚』(1942)を再読した。言うまでもなく「大傑作」である。ここでは、1. 「謎」に関する本作独自の扱いを見た上で、2. 登場する伏線、ミスディレクション、ダブルミーニングのあり方を立ち入って分析したい。実際、本作に…