Superposition de la philosophie et de ...

中村大介による哲学と他のものを「重ね合わせ」ていくブログ。目下は探偵小説の話題が中心になります。

2022-04-01から1ヶ月間の記事一覧

【補足記事】「隠す」とは何か、「見えない」とは何か:G・K・チェスタトン『ブラウン神父の無心』再び

この記事は先日投稿した、チェスタトン『ブラウン神父の無心』に関する記事の補足である。可能であればそちらを先にお読みいただきたい。この記事の内容は、(1)前回触れた、本作における「隠すこと」及び「見えないこと」に関するトリックの内実をより明…

かくも多き不在:アガサ・クリスティー『邪悪の家』

アガサ・クリスティーの『邪悪の家』(1932・別題『エンド・ハウスの怪事件』)を読み、ノートを作った。この作品は「傑作」や「秀作」とまでは言えなくても、探偵小説の歴史を振り返ると、興味深いポイントを含んだ佳作であることが分かる。ここではその興…

供儀の場としての装幀:菊地信義氏の仕事をめぐる一つの断想

装幀者・菊地信義氏が亡くなった。昨年二月に出した自著『数理と哲学:カヴァイエスとエピステモロジーの系譜』(青土社)の装幀は氏の手になるものである。最初の本を出す機会があれば、その装幀は是非菊地さんに、と私はかねてより思っており、本を出す際…

隠すことと見えないこと:G・K・チェスタトン『ブラウン神父の無心』

思うところあり、ギルバート・キース・チェスタトンの『ブラウン神父の無心』(1911)を(何度目か分からないが)読み返した。ここでは三つの作品を中心に、この探偵小説史上屈指の名短編集について少し論じてみたい。 それら三作品とは、「折れた剣の招牌」…