Superposition de la philosophie et de ...

中村大介による哲学と他のものを「重ね合わせ」ていくブログ。探偵小説との重ね合わせが主です。

二つの犯人像の交錯:櫻田智也『失われた貌』

 今回は珍しくごく最近の作品を取り上げる。桜田智也氏の『失われた貌』(2025)である。この作品を読んだとき、私はある「犯人」の設定に新しさを感じた。本記事はその新しさの感覚を、言葉にして論じようとしたものである。記事の目標は、本作におけるある「犯人」の設定をネタバレ込みで、探偵小説史の中で検討することにある。

 第1節でその犯人の特徴を浮き彫りにした上で、第2節ではその特徴をエラリー・クイーンの諸作品における二つの犯人像と関連づけて考察する。その際、クイーン作品への直接の言及は避けるが、犯人像についてはやはり論及せざるを得ないので注意して欲しい。

【以下、本作の核心に触れる。また第2節からはエラリー・クイーン作品における二つの犯人像に触れる。】

↓(ネタバレをするため5行空ける)

1.犯人の設定

 この作品には「犯人」と名指されるべき人物が複数いるが、本記事が注目するのは「小沼久美」である。彼女は十年前にある事件に巻き込まれる。事件の概要は次のようなものだ。夫・憲は辻加奈と不倫をしていた。その不倫用の部屋に、加奈の夫・晴一が乗り込んでくるが、不倫していた二人は晴一がもってきた包丁で、逆に彼を刺してしまう。そして憲は自首する前に妻の久美に連絡をとろうと、浴室から電話をかけるのだ。

 久美は電話の背後から聞こえてくる加奈の声で、夫の不倫相手が自分同様、憲の子供を妊娠していることを知る(さらに晴一を刺したのが加奈の方であると推察する)。殺人者の子を望まない彼女は夫に「自首しないで」と告げた後、〈憲が晴一になり替わる〉というアイディアを——三人ともその考えは頭に浮かんでいたにせよ、しかし彼女自身の口から——二人に告げる。晴一の死体を身許不詳にして見つからない場所に捨てること、自分への連絡はこれっきりにし、二度と自分に近づこうとしないこと、などを約束させるのだ。そして実際、憲は晴一になり変わり、辻加奈の夫として暮らすことになる。

 夫の不倫さえ知らなかった小沼久美は事件に巻き込まれるが、しかし〈死んだ人物との入れ替わり〉を指示し、憲と加奈の二人は結果的にではあれ、これに従うことになる。そして久美はその後夫と会うことなく、殺人を犯した加奈とはそれ以前も以降も、一度たりと面識をもつことがなかった*1

 久美の役回りは一般的に言えば「事後従犯」であり、その罪は「犯罪教唆」ということになろう。だが、この作品全体の核心となる「入れ替わり」の妙——入れ替わりは現在の事件ではなく、十年前の過去の事件に起きていた——を彼女が主導していた以上、読者の受ける印象は単なる「事後従犯」ではない。それは言うなれば、「事後主犯」とでも言うべき犯人がそこにいる、という感覚なのである。

 以上から浮かび上がる、犯人としての久美の特徴は次の二つである。

  • 翻弄される女性。彼女は夫の不倫も殺人も電話で初めて知った。久美は事件に一方的に巻き込まれ、翻弄される存在である。
  • 悪魔的な狡知。と同時に彼女は、会ったこともない殺人者の女性とその不倫相手たる夫に指示を与え、結果的にではあれ、二人にそれを呑ませる。実際に行動することなく、言葉で指示を与え、実行させる——それは言葉巧みに人を操る、悪魔のような存在と言うこともできるのではないだろうか。

 翻弄される悲しき客体であると同時に悪魔的な狡知も備えた操作的主体——これが「事後主犯」たる小沼久美の犯人設定ということになる。

 実のところ、この二重性には探偵小説史における重要な二つの犯人像が折り畳まれている。次節ではその点を、上記二つの特徴を踏まえて検討しよう。

2.クイーン作品の二つの犯人像

2-1. 第一の犯人像 

 まず後者の「悪魔的な狡知」という特徴の方から見てみよう。「事後主犯」を事件前に反転させると「事前主犯」になる。事件前に、言葉だけの指示で実行犯に殺人事件などを引き起こさせる犯人だ。

 しかしこうした計画はどれほど実行犯の弱みを握っていようと、指示を与える主犯にはリスクが伴うものである(実行犯から恐喝などをされる恐れがあるのだから)。そのリスクを解消するためには、最後に実行犯をその主犯自らが殺す以外にないが、そのとき当該の主犯はもはや「指示を与える存在」に留まることを放棄し、自ら手を下す新たな危険を負う以外にない*2

 もし指示を与える主犯がその立場に留まり続け、かつ実行犯から脅される危険を回避しようとすれば取る手段は一つしかない。それは「それと知られることなく実行犯を操る」ことだ。つまりは、実行犯が操られていると自覚させずに操ること。そしてこうした〈操り〉こそ、エラリー・クイーンの十八番であったことは論を俟たないだろう。

 さて、以下こうしたクイーンの〈操り〉作品における枢要な犯人の特徴に触れる。ネタバレが大丈夫な方は、6行先に進んでもらいたい。

 クイーンの〈操り〉の特徴、それは「操り、指示を出す主犯がどの作品でも男性である」ということである*3。とするなら、『失われた貌』は、指示を与える主犯をクイーン的な「事前主犯」から「事後主犯」に反転させると共に、性別も「女性」に反転させた作品であると言うことができよう。

2-2. 第二の犯人像 

 しかし主犯が女性であること、ここからは直ちに別のクイーンの諸作品の特徴が思い出される。それはあるもの——ここでは言及を避ける——に翻弄されて事件を起こすタイプの犯人がいずれも女性である、という点である*4。自ら積極的に事件を起こすというよりは、何かに翻弄されて——もっと言えば操られて——事件を引き起こさざるを得ないような女性犯人像を、本作はクイーンから受け継いでいるのである。

終わりに

 かくして次のように言うことができるであろう。『失われた貌』は、クイーン的な〈操り殺人〉の「事前主犯」たる男性を「事後主犯」としての女性へと反転すると共に、別のクイーン的な「翻弄される女性犯人」をそこに重ね合わせたのだと。最初に述べた、私の覚えた「新しさの感覚」、それはこの二つの犯人像が交錯し、重ね合わさったところに由来していたのだと言うことができる。

 ところで、「晴一の死を隠蔽せよ」という久美の指示に辻加奈と小沼憲が従うことができたのは、その背景に晴一の様々な状況——彼が親しい人間関係を作れなかったこと、妻の加奈以外に交流のある近親者がいなかったこと———があったからである。対して久美自身はこうした晴一の状況を知ることができなかった。とするならば、「彼女の指示は結果的にこうした状況に嵌ってしまっただけである」という一種の予定調和をここに見て取り、ひいてはこの予定調和に本作の数少ない瑕疵を指摘することもできるかもしれない。

 だが、おそらくそれは間違いである。こうした晴一の背景があったからこそ、彼女の指示は機能してしまった。指示がうまく作動してしまったことは、それはそれで巻き込まれた彼女特有の悲劇の——十年越しに追いついてくる悲劇の——源となる。言うなれば、操ること自体が(晴一の)状況という別のものによって操られてしまっていたかのように機能してしまうのだ*5

 桜田智也氏の『失われた貌』は、エラリー・クイーンにおける二つの犯人像を現代日本で交錯させることで、探偵小説特有の悲劇を描き出した作品である。そして勿論、その悲劇の先に微かな希望が明滅する作品でもある。

 

[12/1]文章に加筆修正をおこなった。

*1:「加奈さんの顔も知りません。どこかでみかけたときに動揺したくなかったし、そもそも顔なんてみたくなかった」(283頁)。

*2:エラリー・クイーンのとある作品の、最初の解決で提示される犯人はこのような設定を施されている。

*3:この興味深い特徴はこの論文で扱った。註28を参照。

*4:作品名を反転して記す。『災厄の町』『九尾の猫』である。

*5:この点で、本作は註2で言及したクイーンの作品のヴァリエーションということもできる。