Superposition de la philosophie et de ...

中村大介による哲学と他のものを「重ね合わせ」ていくブログ。目下は探偵小説の話題が中心になります。

メイトリックスは下降する:『コマンドー』試論

アーノルド・シュワルツェネッガー主演作品として有名な『コマンドー』(マーク・L・レスター監督、1985年)は、1976年生まれの私が——同世代の多くの映画好き同様——偏愛する映画である。今回はこの映画について、これまで思っていたことを書いてみたい。 中…

〈中期クリスティー的問題〉とは何か?

筆者はこれまでアガサ・クリスティーの諸作品に対して考察を続けてきたが、その考察を通して、「中期クリスティー的問題」とでも言うべきものがあると気がつくに至った。今回はこの点について少し書いてみようと思う。 *今回の記事にいわゆる「ネタバレ」は…

役柄と俳優が重なるとき:相米慎二監督『セーラー服と機関銃』

授業の関係で、相米慎二監督の『セーラー服と機関銃』(1981)のラストシーンを改めて観た。観直して少し思うところがあるので、以下簡単に書いてみたい。 *シーンの内容に言及するので、未見の方は注意されたい。 この有名な場面で、薬師丸ひろ子演じる星…

無化の経験、あるいは謎の存在論:島田荘司『占星術殺人事件』

今回取り上げるのは、探偵小説史上の名作、島田荘司の『占星術殺人事件』(1981)である。島田がどれほど思想的な問題を抱えた存在に現在なっていようと、控えめに見積もって、彼が一九八〇年代以降もっとも重要な探偵小説作家の一人であることに疑いはある…

ゼロ度の探偵小説へ:アガサ・クリスティー『ゼロ時間へ』

今回取り上げるのは、アガサ・クリスティーの『ゼロ時間へ』(1944)である。この作家の最高傑作の一つである。この作品を、日本の探偵小説界で長らく議論されてきた「後期クイーン的問題」を念頭において読み直してみると、実にラディカルな探偵小説である…

絡み合うミス・ディレクションの建築物:アガサ・クリスティー『ねじれた家』

今回取り上げるのは、映画化もされたアガサ・クリスティーの『ねじれた家』(1949)である。本作はその「意外な真相」によりとりわけ知られているが、記述・叙述の面でも、この作家の美質が示されている。いやむしろ、ミス・ディレクションという叙述面に注…

探偵小説における焦点化の一問題:アガサ・クリスティー『満潮に乗って』

アガサ・クリスティーの『満潮に乗って』(1948)を久々に読み返した。この作品は優れたトリックと叙述上の技巧を含んだ傑作であるが、同時に、ナラトロジーで言うところの「焦点化」に関して、探偵小説というジャンルにおける興味深い問題をも提起している…

手がかりと伏線のグラデーション:アガサ・クリスティー『愛国殺人』

今回はアガサ・クリスティー円熟期の佳作、『愛国殺人』(1940)を取り上げる。この作品は傑作・秀作とまでは言えないにしても、この時期に典型的な叙述の技巧、及びトリックを見ることができる興味深い作品である。以下、叙述とトリックという、その二つの…

二つの範例性:〈数理/フィクションと哲学〉への予備的考察(1)【追記あり】

先日の講演会で、数学をカヴァイエスの言う「パラディグム」で、フィクションをカントやデリダを参照しつつ「範例性」で、それぞれ特徴付けた(ちなみに「範例性」の元となったラテン語は、「パラディグム」のギリシア語原語に対応するものである)*1。しか…

両義性と爆発:ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督『マリア・ブラウンの結婚』

今回は二週間ほど前にシネマスコーレで観た、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの傑作『マリア・ブラウンの結婚』(1978)について簡単に記しておきたい。ファスビンダーは個人的には留学時代に『一三回の新月のある年に』(同年)などを観た程度であっ…

後期のテーマはいかにして導入されたか?:エラリー・クイーン『エラリー・クイーンの冒険』

今回はエラリー・クイーンの記念すべき第一短編集、『エラリー・クイーンの冒険』(1934)を論じる。本作は海外探偵小説史上、屈指の名短編集であり*1、まずは同時期の〈国名シリーズ〉との関連で扱うのが通例であろう。だがここでは異なったアプローチを採…

二つの系列を結ぶもの:エラリー・クイーン『フォックス家の殺人』

今回は久々にエラリー・クイーンの作品を取り上げる。ライツヴィルものの第二作、『フォックス家の殺人』(1945)である。以前『災厄の町』から『盤面の敵』に至る後期クイーンに関する論文を書いたとき、この作品については扱いにやや困り、検討しなかった…

アラスの城塞と墓地

九月の頭にフランス北部の街、アラス(Arras)に行ってきた。ここは対ナチス・レジスタンス活動の最中に捕まった哲学者、ジャン・カヴァイエス(Jean Cavaillès, 1903-1944)が亡くなった場所である。自分の研究している哲学者の足跡を辿ること(フランス語…

迷霧としてのテクスト:アガサ・クリスティー『ホロー荘の殺人』

『ホロー荘の殺人』(1946)は、アガサ・クリスティーの全盛期と言える1940年代に書かれた傑作である。この記事では、ミス・ディレクションの機能を主軸にした分析によって、本作がクリスティーの最高点の一つをマークした作品でもあることを示せればと思う…

文字か図像か、真実か偽装か:アガサ・クリスティー『NかMか』

今回はトミー&タペンスものの長編第二作、『NかMか』(1941)を取り上げる。第一作『秘密機関』(1922)からの大きな飛躍を示したこの作品は、全盛期クリスティーの優れた叙述の才が、エスピオナージュ(・パロディ)において発揮された傑作である。ここで…

第二期の出立:アガサ・クリスティー『エッジウェア卿の死』

今回は『エッジウェア卿の死』(1933)を考察する。この作品は、独創的なトリックを、1940年代のクリスティー全盛期へと通ずる優れた探偵小説の記号群によって支える構造になっており、かなりの秀作である(もっと後の時期の作品と言われてもおかしくない出…

三つの細やかな変奏:アガサ・クリスティー『メソポタミヤの殺人』

今回取り上げるのは、アガサ・クリスティーの『メソポタミヤの殺人』(1936)である。この長編は傑作とも秀作とも言い難いが、それでもこの時期の彼女の試みが分かる、興味深い佳品である。ここでは、本作を三つの先行作との関係で簡単に論じたい。 参照する…

探偵小説の過去と現在:フーコーの思想から

『現代ミステリとは何か:二〇一〇年代の探偵作家たち』(南雲堂、2023年)を読み、色々と触発されたため、最近の日本の探偵小説、ミステリーについて漠然と考えてきたことを、ここでまとめておきたい。私は本書で論じられている「二〇一〇年代」の作品群を…

paradigme / exemplaritéの概念的変遷(1):プラトン

記事のタイトルにある paradigme / exemplarité はいずれもフランス語だが、それぞれ、前者は古代ギリシア、プラトンに端を発する語 παρἀδειγμα に、後者はラテン語 exemplar に、その起源をもつ。後者のラテン語は前者のギリシア語の翻訳に当たる語であるが…

「伏線」と「手がかり」の変遷をめぐって:佐々木徹編訳『英国古典推理小説集』を読んで

この記事では、佐々木徹編訳『英国古典推理小説集』(2023)を読み、それに触発されて思いついたことを書いてみたい。それは、探偵小説における「伏線」と「手がかり」の、いわば史的変遷に関するものである。したがって、記事の内容は同書所収の作品に限定…

【補足記事】〈関係記号〉の前景化:アガサ・クリスティー『そして誰もいなくなった』/『雲をつかむ死』

今回は以前書いた『そして誰もいなくなった』論を補足する短めの記事である。可能であれば、そちらをお読みいただいてから本記事に移っていただければと思うが、読んでいなくても内容の理解には困らない筈である。 むしろ『杉の柩』を検討した際に提示した二…

逆転の構図:アガサ・クリスティー『オリエント急行の殺人』

今回は名作『オリエント急行の殺人』(1934)に登場していただく。この作品といえば、クリスティーの他の有名作と同様、その「意外な犯人」が決まって言及される。しかしここではそのテーマを実のところ支え、導出さえしているように見える、ある〈逆転の構…

ある中間的形態:ドロシー・L・セイヤーズ『五匹の赤い鰊』

今回はドロシー・L・セイヤーズの『五匹の赤い鰊』(1931)を、ある一点に絞り、ごく簡単に検討したい(最近復刊されたようだ)。参照するのは浅羽莢子訳(創元推理文庫、1996年)である。 【以下、本作の真相に触れる。】

〈隠すこと〉の一変奏:アガサ・クリスティー『ポアロのクリスマス』

今回はクリスティーの『ポアロのクリスマス』(1939)を取り上げる。本作はこの時期にかの女が探求していたモチーフがよく分かる佳作である。例によって伏線、ミス・ディレクションといった叙述上の特徴と、手がかりとの関係に絞って簡単に検討する。 ※用い…

技巧の胚珠:アガサ・クリスティー『秘密機関』

今回取り上げるのは、『スタイルズ荘の怪事件』に続くアガサ・クリスティーの二作目、『秘密機関』(1922)である。まだ冗長なところもあるものの、この作家の優れた特質が早くも随所に表れており、トミーとタペンスの活躍も楽しめる好編である。 この記事で…

あるトリックの遍歴:アガサ・クリスティー『白昼の悪魔』を中心に

これまでアガサ・クリスティーの諸作品を、「叙述」面に主にフォーカスして分析してきた。叙述や記述がこの作家の大きな特徴である以上、こうしたアプローチは間違ってはいまい。だが、そろそろクリスティー作品における「トリック」について検討してみたい…

ホワットダニットへの助走:アガサ・クリスティー『書斎の死体』

2023年最初に取り上げる作品は、アガサ・クリスティーの『書斎の死体』(1942)である。本作を幾つかの先行作品と比較・検討する作業は興味深いものと思われるが、本記事ではまず簡単に、この秀作の特筆すべき点を取り上げておきたい。 参照するのはクリステ…

『すごい哲学』執筆項目関連リンク集

総合法令出版より刊行された『すごい哲学』に、ジャン=ピエール・デュピュイの「賢明なカタストロフ論(破局論)」を紹介する項目、「なぜ『あり得ないこと』が起こってしまうのか?」を執筆した。参考文献は本に記載した通りだが、この項目執筆に際して、…

〈二〉と〈一〉をめぐる探究:笠井潔『オイディプス症候群』・『吸血鬼と精神分析』

今回取り上げるのは、笠井潔氏の矢吹駆シリーズ第五作『オイディプス症候群』(2002)、及び第六作『吸血鬼と精神分析』(2011)である。以前論じた『哲学者の密室』(1992)のロジックと事件構造を出発点に据え、これら二作品がどのようにそれを展開、ない…

技巧の開花:アガサ・クリスティー『杉の柩』

今回はアガサ・クリスティーの『杉の柩』(1940)を取り上げる。霜月蒼氏いわく「人気作品」*1である本作には、確かに全盛期クリスティーの、豊かな技巧の開花が見出されるように思える。ここではこの作品の伏線、ミス・ディレクションといった「叙述」の側面…