Superposition de la philosophie et de ...

中村大介による哲学と他のものを「重ね合わせ」ていくブログ。目下は探偵小説の話題が中心になります。

二つの系列を結ぶもの:エラリー・クイーン『フォックス家の殺人』

 今回は久々にエラリー・クイーンの作品を取り上げる。ライツヴィルものの第二作、『フォックス家の殺人』(1945)である。以前『災厄の町』から『盤面の敵』に至る後期クイーンに関する論文を書いたとき、この作品については扱いにやや困り、検討しなかった。改めてこの記事で、本作をクイーンの同時期の展開のなかではっきりと位置付ける作業を行う。

 予め述べておくと、この記事では他の多くのクイーン作品の「興趣」に触れることになる。具体的には、『災厄の町』、『靴に棲む老婆』、『十日間の不思議』、『九尾の猫』、『ダブル・ダブル』、『悪の起源』、『最後の一撃』、『盤面の敵』である。また初期の代表作である『ギリシャ棺の謎』と『Yの悲劇』については、興趣にとどまらず、その真相にも触れることになる。クイーン・ファン向けの記事なので、その点ご注意いただければと思う。

 参照するのは越前敏弥訳(ハヤカワ・ミステリ文庫、2020年)である。必要に応じて原書(JABberwocky Literary Agency, 2017)を参照する。

 

【以下、本作の推理・真相に触れる。】

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アラスの城塞と墓地

 九月の頭にフランス北部の街、アラス(Arras)に行ってきた。ここは対ナチスレジスタンス活動の最中に捕まった哲学者、ジャン・カヴァイエス(Jean Cavaillès, 1903-1944)が亡くなった場所である。自分の研究している哲学者の足跡を辿ること(フランス語で言うところの « pèlerinage »)の意味合いも勿論あるが、もう少し強い動機から、一度訪れておこうと思った(彼の人生における様々な活動にも関心があるためだが、いずれきちんとその動機を話す機会があるだろう)。

 今回行ったのは、アラスの城塞(Citadelle d'Arras)と墓地(Cimetière d'Arras)である。それぞれ簡単に報告する。

1.アラスの城塞

 これは、アラスの地がスペイン領ネーデルランドからフランスに取り戻されて後、1668年から1672年の間に智将ヴォーバンの手によって建てられた城塞である。現在は市の中心部から、無料バスで行くことができる。この城塞で、第二次世界大戦中にレジスタンス運動に参加した200人余りの人物が、ナチス・ドイツによって処刑された。カヴァイエスもその一人である。

城塞の正門

 カヴァイエスの遺体は同じく1944年4月に殺された12人と共に、フランス解放後に発見された。そして第二次世界大戦後、この城塞の庭の一角に「銃殺された者たちの壁(Mur des Fusillés)」が作られた。この壁には、抵抗運動のためにドイツに捕まり、この城塞で銃殺された者たちの名前を彫った石版200枚以上が並べられている。

 これがカヴァイエスの名が彫られた石板である。O. C. Mとは、« Organisation Civilie et Militaire » の略で、フランス北部の占領地域で活動していた「民間および軍事組織」のことである。彼は初め、南部の非占領地域で活動組織「解放」をエマニュエル・ダスティエらと共に立ち上げたが、北部の活動にもすぐに関わるようになっていった*1

 なおこの壁を含む一角は、彼ら、彼女らの活動に捧げられたものであり、カヴァイエスを含めたレジスタンスの人たちが処刑された場所ではない。処刑された場所は、この城塞の周囲の「森」の中である。この森は現在、ほとんどが立ち入り禁止の環境保護区なっているが、歩ける場所もある。私もしばらく散策した。

2.アラスの墓地

 カヴァイエスの遺体は1944年10月23日に城塞で発見された後、いったんアラスの墓地に移される。当初は身元不明で「無名五号(Inconnu N°5)」と記された墓標があるだけだったが、姉ガブリエル・フェリエールにより、その遺体がカヴァイエスであることが確認された。

 墓地はアラスの駅から、街の中心部とは反対方向に1キロほど離れたところにある。城塞の次に、私はそちらに向かった。

 ここの受付の方二人に私は墓地に来た経緯を話し、カヴァイエスの遺体がどこら辺りに埋められていたか、記載か手がかりはないだろうか、と尋ねた。こういうときフランス人は非常に親身になって探してくれる。デジタル・データだけでなく、1944-45年の古いファイルも取り出して調べてくれた。昔はやはり記載もいい加減だったとのことで、それらしき記述は見当たらない。詳しい方がいる、とのことで電話して聞いてくれたが、ヴァカンス中にもかかわらず対応してくれたその方もやはり分からない、とのことだった。

 姉フェリエールが書いたカヴァイエスの伝記 Jean Cavaillès. Un philosophe dans la guerre 1903-1944 の最後に、カヴァイエスの埋められていた場所の近くに「白いバラ」が咲いていた、という記述がある。私は80年も前のことだとは承知でその話を最後に持ち出し、墓地のどこかに白いバラが咲いていないだろうか、と尋ねた。係の人からは、確かにそれは手がかりの一つになりうるが、それだけでは特定できない、との返答を受けた。

墓地のほぼ中央、キリストの像が立つ小丘から。ここにも白いバラは植えられていたが……。

 係の方は最後に、もし何か分かったら私のメールアドレスもしくは携帯電話まで連絡をする、と言ってくれた。カヴァイエスは他の遺体も含めて12人まとめて墓地に移されたのではないか、と考えられるので、この点をきちんと伝えておけば、それに類した記述が見つかったかもしれない。しかしひとまずのアラス行きの成果としては、これで良しとしなければならないだろう*2

 次フランスに来たときは、カヴァイエスの生まれた村サン=メクサン(少し調べたいことがある)、そして可能ならば彼が遺作を執筆した監獄のあった、サン・ポール・デイジョーに行ってみたいと思っている。

*1:この石板の位置が分かる写真も撮ったが、いずれこの地を訪れる人のために、ここにその写真は載せないでおく。

*2:アラスの墓地には、戦死者の墓が並ぶ一角がある。この戦死者とは、フランスなので勿論、第一次世界大戦のときのものである。« Français inconnu(無名のフランス人)» と書かれたものも含む、三桁に及ぶ墓標がそこには並ぶ。アラスは「アラスの戦い」とも呼ばれる、第一次世界大戦の激戦地であり、街も有名な鐘楼も含め、多くが破壊された(街の美術館でそのときの写真を見ることができる)。フランス語で文字通り「大戦(La grande Guerre)」と呼ばれる、この戦争のヨーロッパにおける特別な意味を感じることのできる街でもある。

迷霧としてのテクスト:アガサ・クリスティー『ホロー荘の殺人』

 『ホロー荘の殺人』(1946)は、アガサ・クリスティーの全盛期と言える1940年代に書かれた傑作である。この記事では、ミス・ディレクションの機能を主軸にした分析によって、本作がクリスティーの最高点の一つをマークした作品でもあることを示せればと思う。

 参照するのはハヤカワ文庫版(中村能三訳、2003年)である。丸括弧内の数字は同書の頁数を指す。

 

【以下、本作の真相に触れる。】

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文字か図像か、真実か偽装か:アガサ・クリスティー『NかMか』

 今回はトミー&タペンスものの長編第二作、『NかMか』(1941)を取り上げる。第一作『秘密機関』(1922)からの大きな飛躍を示したこの作品は、全盛期クリスティーの優れた叙述の才が、エスピオナージュ(・パロディ)において発揮された傑作である。ここでは大きく二つの点から、この作品を検討する。

 使用するテクストはハヤカワ文庫版(深町眞理子訳、2004年)である。必要に応じてHarperCollinsのペーパーバック版(2015年)を参照する。

 

【以下、作品の真相に触れる。】

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第二期の出立:アガサ・クリスティー『エッジウェア卿の死』

 今回は『エッジウェア卿の死』(1933)を考察する。この作品は、独創的なトリックを、1940年代のクリスティー全盛期へと通ずる優れた探偵小説の記号群によって支える構造になっており、かなりの秀作である(もっと後の時期の作品と言われてもおかしくない出来映えと言える)。ここではトリック、および伏線やミス・ディレクションといった叙述の面に注目しつつ、三つの節に分けて検討する。

 参照するテクストは福島正美訳(クリスティー文庫、2004年)である。

 

【以下、本作の真相に触れる。】

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三つの細やかな変奏:アガサ・クリスティー『メソポタミヤの殺人』

 今回取り上げるのは、アガサ・クリスティーの『メソポタミヤの殺人』(1936)である。この長編は傑作とも秀作とも言い難いが、それでもこの時期の彼女の試みが分かる、興味深い佳品である。ここでは、本作を三つの先行作との関係で簡単に論じたい。

 参照するのはハヤカワ文庫版(高橋豊訳、1976年)である。

 

【以下、本作の真相に触れる。】

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探偵小説の過去と現在:フーコーの思想から

 『現代ミステリとは何か:二〇一〇年代の探偵作家たち』(南雲堂、2023年)を読み、色々と触発されたため、最近の日本の探偵小説、ミステリーについて漠然と考えてきたことを、ここでまとめておきたい。私は本書で論じられている「二〇一〇年代」の作品群を多数読み、それらに通じている訳ではなく、それゆえ以下の議論においても、考えが及んでいないところはあるだろう。ただ哲学・思想の研究者として、広い時間的パースペクティブから最近の諸傾向を点検してみることには、何か益することはあると思われる(少なくとも議論の叩き台くらいにはなろう)。この記事では——ありふれた選択であるが——ミシェル・フーコーの観点を採用して考察する。

 第一節では、一九世紀半ばに登場した探偵小説の、黎明期・古典期の大雑把な特徴をフーコーの『監獄の誕生:監視と処罰』(1975)周辺の諸着想を踏まえて取り出す。その上で第二節で、再び彼の哲学を参照しつつ、近年の探偵小説の二つの傾向に対して、ごく簡単な予備的考察を試みたい。

  • 1.過去
    • 1-1. 名探偵の古典的肖像(1)
    • 1-2. 真相を告げること
    • 1-3. 名探偵の古典的肖像(2)
  • 2.現在
    • 2-1. 生権力の地殻変動
    • 2-2. 知的バトルものについて
    • 2-3. 特殊設定ものについて
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