Superposition de la philosophie et de ...

中村大介による哲学と他のものを「重ね合わせ」ていくブログ。目下は探偵小説の話題が中心になります。

批評的な名探偵:城塚翡翠について

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 私は相沢沙呼氏の作品『medium』および『invert』で活躍する探偵・城塚翡翠のファンである。ここでは探偵小説というジャンルにおける彼女の特殊性について、この探偵の核心に触れつつ書いていくことにする。未読の方は注意されたいが、「なんだ、作品を読んでないとこの文章は読めないのか」ー そう思われてもどうか安心して欲しい。そう思うだけで、実は彼女の魅力の半分に捉えられたことになっているのである。どうか安心して(?)作品に手を伸ばしていただきたい。

 

【以下ネタバレ】

 

 私たちが探偵小説(推理小説、ミステリー)、とりわけて「本格」と呼ばれる作品を人に勧めるとき、まず気を付けることは何であろうか。それは真相を明かしてしまうこと、すなわち「ネタバレ」をしないように配慮することであろう。ここでは「ネタバレ」をめぐる諸問題には立ち入らないが、「ネタバレ回避」が私を含め多くの探偵小説ファンが作品を勧めるときの基本モードであることは間違いの無いことである*1

 ところで「ネタバレ回避」で探偵小説を語る、という際に、私が取りたいと最近考えている所作こそ「誘惑」である。実際、我々が何よりも自分を謎めいた存在と見せようとし、自分についての(すべての)真実をさらけ出そうとしない瞬間とは、まさに好意を寄せる相手を誘惑しようとするときではないだろうか?とするならば、「ネタバレ」を回避し、謎を伏せたままそれでも相手にその本格作品を読んでもらおうとするならば、まさにそのとき「誘惑」というべき所作が適ったものとなるだろう。推理小説ファンなら誰でもある経験だと思うが、ある作品を勧めたからといって、必ずしもその人が作品を読んでくれるわけでは無い。これは幾ばくか残念なことと言えるが、「誘惑である以上失敗することもある」と考えれば、多少は気が楽である。自分の誘惑の仕方を反省し、次回は別の仕方で誘惑しよう、と技を磨くことのできる契機とも言える訳なのだから。

 さてこんな一見益体もないことを書いてきたのは、城塚翡翠が、他の「名探偵」と異なり、まさに彼女が抱えている「謎」を人に勧める際に明かすことのできないタイプの探偵だからだ。『medium』において、ある登場人物は次のように翡翠に対してうめく。

君はとうに答えが見えていて、霊視と称しながら僕を誘導していたとでもいうのか?(321頁)

 翡翠は「短い時間で」「論理を構築する」力があるのだが、その論理によって見えた答えを基に、ある人物を霊視と称して ー 実のところ奇術の技法を用いて ー 誘導していく。『medium』において、ひとまず読者に見えているのは、誘導の過程だけであって、論理構築能力が明かされる最終盤こそ、作品のクライマックスとなっている*2

 

 したがってこの作品を読んだ方にはお分かりであろうが、我々は『medium』という作品を人に勧める際、翡翠の探偵としての能力を語ることが ー ネタバレ禁止の前提に立てば ー できない、言い換えれば、翡翠の探偵としての能力こそ本作の「謎」なのであって、人を勧める際にそれを明かすことができない城塚翡翠とは、探偵小説作品を人に勧める際に、作品を人物として象徴化した存在なのである。私たちは人が探偵小説を読むよう誘惑する。それと同じようにして、私たちは城塚翡翠という存在へと誘惑するのだ。そこには探偵小説というジャンル全体に対する、ある種の批評性がある。

 そして ー 本当はこの点については精密な議論が必要であるのだが*3翡翠という存在へと我々が新たなる読者を誘惑することは、翡翠がある人物を霊視と称して誘導するために自身のときに性的な魅力を用いて誘惑する、という作品の内容と平仄が合っている、と言うことができよう*4(勿論、彼女の真の魅力は、こうしたいわば真理に「ヴェールをかける」ことで成立する謎めいた誘惑の仕草と、「ヴェールをとる」ことで真理を明らかにする探偵の挙措との往還にあるのだが)。

 

 最後に、城塚翡翠という探偵の魅力をもう一つ付け加えておこう。それは彼女がまさに「霊媒」としてまずはわれわれの目に登場する、という点である。そして本当に彼女が霊媒としての能力を持っていないのか、という点については千和崎真の記述により疑義が呈されている。笠井潔の指摘によれば、探偵小説における名探偵とは、科学者よりも、近代におけるシャーマンや魔術師の復興とみなしたほうがより正確な存在である。「中間の、微笑」(『invert』119頁)をたたえ、「あらゆるすべてが、中間の狭間」(426頁)にある翡翠 ー この「信用のならない」探偵 ー は、デュパン御手洗潔京極堂といった名探偵の系譜の、紛れもない末裔なのである*5

 

*9/13 字句一部修正・追加

*1:実のところ私は、「ネタバレ上等」な人にはネタを明かして話してしまうこともあるし、また過去、様々なネタバレを受けつつも、それでも優れた作品を勧めてくれた恩恵のほうが圧倒的に大きいと思うようなタイプの人間ではあるのだが。

*2:本作の魅力は、単に彼女の真の能力が明かされた、というだけに留まるものではないが、これについては別稿が必要。

*3:この点は、謎、誘惑、(解明される)真理に関する哲学的議論を参照して考えていきたい。これらを明確に結びつけた哲学的着想を今のところ見つけ出せていないのだが、とはいえ一つの方針として有力なのは、やはりニーチェの議論であろう。「真理は女である」という一文に象徴的に見られるようなニーチェの議論は今では様々な問い直しを受けているが、その問い直しを含めていずれ議論を組めればと考えている。

*4:こうした性的魅力を武器として事に当たる天才的な女性名探偵としては、早坂吝氏の手になる上木らいちも忘れてはならないだろう。翡翠やらいちは、明らかにこの2020年前後の時代に応じたキャラクターであり、彼女たちと例えば、更科ニッキ、宇内舞子、二階堂蘭子、さらにはコーデリア・グレイといった女性探偵との違いは重要なものと思われる。

*5:なお完全な余談であるが、『invert』所収の中編「信用ならない目撃者」の最後において、真が「それを実行しなかった〔翡翠がショーの間に実弾のすり替えを頼まなかった〕理由」として考えているのはおそらく(以下ネタバレのため反転)翡翠自らの手で空砲に詰め替え、真に絶対に実弾が当たらないことを自らの目と手で確認したかったからということであろう。「うぬぼれが過ぎる」推理と自嘲する所以である。